NHK「クローズアップ現代」でお馴染みの美脚国谷裕子アナウンサーは幼少期から海外を転々とし、英語が堪能なお嬢様です。
その秀才ぶりは今も健全ですが、そんな国谷裕子アナウンサーの年収や子供、夫について調べてみました!
国谷裕子さんの経歴
名前 | 国谷裕子(くにやひろこ) |
生年月日 | 1957年2月3日 |
出身 | 大阪府 |
学歴 | ブラウン大学卒業 専攻:国際関係学 副専攻:国際経済学 |
所属 | フリー |
血液型 | 不明 |
身長 | 不明 |
カップ | B~Cカップ? |
曾祖父は田附政次郎(たづけまさじろう)さんで、少し経歴をご紹介しますと実業家で東洋紡・日清紡ホールディングス・兼松創業に携わっています。
帝塚山学院や北野病院を創設し、綿糸相場師としても活躍しており、「田附将軍」と呼ばれていました。
祖父は二代目田附政次郎、父親は三代目田附政次郎で、三和銀行専務を経て、三和キャピタル相談役、大阪化成品取締役、いすゞ自動車監査役を務めています。
手塚山学院、北野病院では理事を務めており、ご家族だけをみても、お嬢様として育てられたのが分かりますね。
国谷裕子さんの経歴
大阪府出身ですが、お父さんのお仕事の関係で幼少期の頃から転勤が多くニューヨーク、サンフランシスコ、香港を転々とし、小学校6年生の頃から中学校生までは香港と日本を行き来する学校生活を送っていました。
曾祖父が創設した手塚山学院小学校、中学は聖心インターナショナルスクールを経て、全米でも最難関大学のひとつであるブラウン大学(専攻:国際関係学、副専攻:国際経済学)を卒業しています。
大学卒業後、日本国内の外資系メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム、現在のプロクター・アンド・ギャンブル (P&G) ジャパンに就職し商品の販売戦略を担当しましたが、「結局、なぜ一つでも多くせっけんを売らなくてはいけないのかと、納得がいかなくなり一年足らずで辞めてしまった」のだそうです。
その後知人の紹介で1981年、「NHKニュース」の英語の同時通訳を務めたのを機に、報道の世界へ足を踏み入れました。
【動画】国谷裕子さんが若い!クローズアップ現代
26歳の頃までは派遣会社や日本外国特派員協会在籍しながら海外映像のチェックを行ったりリサーチなどに従事し、1986年にNHK衛星放送のニューヨーク契約駐在キャスターを務め、帰国後に、総合テレビの「NHKニュースTODAY」「NHKニュース21」、衛星放送の「ワールドニュース」に契約出演しています。
1993年から総合テレビ「クローズアップ現代」のレギュラーキャスターを務めています。
2016年1月に「クローズアップ現代」を降板し、4月に東京藝術大学理事の学長特命担当兼ダイバーシティ推進室長に就任し、2016年6月に「徹子の部屋」で民放初デビューを果たします。
また2017年には「キャスターという仕事」という書籍を発売し、同年6月には日本郵船の取締役に就任。
10月には国連食糧農業機関(FAO)日本担当親善大使に就任するなどクローズアップ現代を降板後、活躍の場を多方面に広げ多忙を極めています。
他にも橋田壽賀子賞や第22回放送文化基金賞、放送ウーマン賞 ’97、第50回菊池寛賞、日本記者クラブ賞、第53回ギャラクシー賞特別賞、放送人グランプリ2016 グランプリ、社会起業大学『ソーシャルビジネスグランプリ2017 政治起業家部門グランプリ』などたくさんの賞も受賞しています。
国谷裕子さんの旦那さんはどんな人?
国谷裕子さんの夫は弁護士で、国谷史郎さんと言います。
1980年京都大学法学部卒業、1982年に大江橋法律事務所入所、1987年にはニューヨーク州で弁護士登録しており、1997年にサンスター株式会社の社外監査役を務め、2002年からは弁護士法人大江橋法律事務所代表社員を務めています。
今まで取り扱った代表的な事案は、ライブドアとニッポン放送の新株予約権発行差し止め請求仮処分事件や京都大学のiPS細胞ライセンス契約、ウイルコム更生事件などがあります。
国谷史郎さんはクローズアップ現代にもゲスト・コメンテーターとして出演しており、この頃から結婚に向けて何かしら感じたものが2人の間であったかもしれませんね!
お二人の間に子どもに関する情報は今の所ありません。
国谷裕子さんの年収は?
フリーで活躍している国谷裕子さんですが、はっきりした年収は分かっていません。
しかしいろいろな情報では数千万円(一説では4000万円とも)は貰っているのでは、という噂。
というのもNHKの社員で年収約1700万円と言われているので、それ以上である事は確実です。
キャリアも長いので、それに見合った収入を得ていると考えられます。
帰国子女で才能あふれる彼女の今後の活躍にも期待ですね!
帰国子女と言えばミス慶應に選ばれた事もある美人キャスターの山田玲奈さんも要チェックです!
国谷裕子さん画像集
※クリックすると拡大します。
引用:NHKクローズアップ現代HP,日常生活の報告書,女子アナ & 気象予報士,空を見上げて、空から眺めて~ -eaglei-
まとめ
・曾祖父は田附政次郎(たづけまさじろう)さんで、少し経歴をご紹介しますと実業家で東洋紡・日清紡ホールディングス・兼松創業に携わっている。
・お父さんのお仕事の関係で幼少期の頃から転勤が多くニューヨーク、サンフランシスコ、香港を転々とし、小学校6年生の頃から中学校生までは香港と日本を行き来する学校生活を送っていた。
・曾祖父が創設した手塚山学院小学校、中学は聖心インターナショナルスクールを経て、全米でも最難関大学のひとつであるブラウン大学(専攻:国際関係学、副専攻:国際経済学)を卒業。
・大学卒業後、日本国内の外資系メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム、現在のプロクター・アンド・ギャンブル (P&G) ジャパンに就職し1年ほどで退職。
・紹介で1981年、「NHKニュース」の英語の同時通訳を務めたのを機に、報道の世界へ足を踏み入れた。
・26歳の頃までは派遣会社や日本外国特派員協会在籍しながら海外映像のチェックを行ったりリサーチなどに従事。
・1986年にNHK衛星放送のニューヨーク契約駐在キャスターを務め、帰国後に、総合テレビの「NHKニュースTODAY」「NHKニュース21」、衛星放送の「ワールドニュース」に契約出演。
・1993年から2016年1月まで総合テレビ「クローズアップ現代」のレギュラーキャスターを務めた。
・2016年4月に東京藝術大学理事の学長特命担当兼ダイバーシティ推進室長に就任。
・
NHK「クローズアップ現代」でお馴染みの美脚国谷裕子アナウンサーは幼少期から海外を転々とし、英語が堪能なお嬢様です。
その秀才ぶりは今も健全ですが、そんな国谷裕子アナウンサーの年収や子供、夫について調べてみました!
国谷裕子さんの経歴
名前 | 国谷裕子(くにやひろこ) |
生年月日 | 1957年2月3日 |
出身 | 大阪府 |
学歴 | ブラウン大学卒業 専攻:国際関係学 副専攻:国際経済学 |
所属 | フリー |
血液型 | 不明 |
身長 | 不明 |
カップ | B~Cカップ? |
曾祖父は田附政次郎(たづけまさじろう)さんで、少し経歴をご紹介しますと実業家で東洋紡・日清紡ホールディングス・兼松創業に携わっています。
帝塚山学院や北野病院を創設し、綿糸相場師としても活躍しており、「田附将軍」と呼ばれていました。
祖父は二代目田附政次郎、父親は三代目田附政次郎で、三和銀行専務を経て、三和キャピタル相談役、大阪化成品取締役、いすゞ自動車監査役を務めています。
手塚山学院、北野病院では理事を務めており、ご家族だけをみても、お嬢様として育てられたのが分かりますね。
国谷裕子さんの経歴
大阪府出身ですが、お父さんのお仕事の関係で幼少期の頃から転勤が多くニューヨーク、サンフランシスコ、香港を転々とし、小学校6年生の頃から中学校生までは香港と日本を行き来する学校生活を送っていました。
曾祖父が創設した手塚山学院小学校、中学は聖心インターナショナルスクールを経て、全米でも最難関大学のひとつであるブラウン大学(専攻:国際関係学、副専攻:国際経済学)を卒業しています。
大学卒業後、日本国内の外資系メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム、現在のプロクター・アンド・ギャンブル (P&G) ジャパンに就職し商品の販売戦略を担当しましたが、「結局、なぜ一つでも多くせっけんを売らなくてはいけないのかと、納得がいかなくなり一年足らずで辞めてしまった」のだそうです。
その後知人の紹介で1981年、「NHKニュース」の英語の同時通訳を務めたのを機に、報道の世界へ足を踏み入れました。
【動画】国谷裕子さんが若い!クローズアップ現代
26歳の頃までは派遣会社や日本外国特派員協会在籍しながら海外映像のチェックを行ったりリサーチなどに従事し、1986年にNHK衛星放送のニューヨーク契約駐在キャスターを務め、帰国後に、総合テレビの「NHKニュースTODAY」「NHKニュース21」、衛星放送の「ワールドニュース」に契約出演しています。
1993年から総合テレビ「クローズアップ現代」のレギュラーキャスターを務めています。
2016年1月に「クローズアップ現代」を降板し、4月に東京藝術大学理事の学長特命担当兼ダイバーシティ推進室長に就任し、2016年6月に「徹子の部屋」で民放初デビューを果たします。
また2017年には「キャスターという仕事」という書籍を発売し、同年6月には日本郵船の取締役に就任。
10月には国連食糧農業機関(FAO)日本担当親善大使に就任するなどクローズアップ現代を降板後、活躍の場を多方面に広げ多忙を極めています。
他にも橋田壽賀子賞や第22回放送文化基金賞、放送ウーマン賞 ’97、第50回菊池寛賞、日本記者クラブ賞、第53回ギャラクシー賞特別賞、放送人グランプリ2016 グランプリ、社会起業大学『ソーシャルビジネスグランプリ2017 政治起業家部門グランプリ』などたくさんの賞も受賞しています。
国谷裕子さんの旦那さんはどんな人?
国谷裕子さんの夫は弁護士で、国谷史郎さんと言います。
1980年京都大学法学部卒業、1982年に大江橋法律事務所入所、1987年にはニューヨーク州で弁護士登録しており、1997年にサンスター株式会社の社外監査役を務め、2002年からは弁護士法人大江橋法律事務所代表社員を務めています。
今まで取り扱った代表的な事案は、ライブドアとニッポン放送の新株予約権発行差し止め請求仮処分事件や京都大学のiPS細胞ライセンス契約、ウイルコム更生事件などがあります。
国谷史郎さんはクローズアップ現代にもゲスト・コメンテーターとして出演しており、この頃から結婚に向けて何かしら感じたものが2人の間であったかもしれませんね!
お二人の間に子どもに関する情報は今の所ありません。
国谷裕子さんの年収は?
フリーで活躍している国谷裕子さんですが、はっきりした年収は分かっていません。
しかしいろいろな情報では数千万円(一説では4000万円とも)は貰っているのでは、という噂。
というのもNHKの社員で年収約1700万円と言われているので、それ以上である事は確実です。
キャリアも長いので、それに見合った収入を得ていると考えられます。
帰国子女で才能あふれる彼女の今後の活躍にも期待ですね!
帰国子女と言えばミス慶應に選ばれた事もある美人キャスターの山田玲奈さんも要チェックです!
国谷裕子さん画像集
※クリックすると拡大します。
引用:NHKクローズアップ現代HP,日常生活の報告書,女子アナ & 気象予報士,空を見上げて、空から眺めて~ -eaglei-
まとめ
・曾祖父は田附政次郎(たづけまさじろう)さんで、少し経歴をご紹介しますと実業家で東洋紡・日清紡ホールディングス・兼松創業に携わっている。
・お父さんのお仕事の関係で幼少期の頃から転勤が多くニューヨーク、サンフランシスコ、香港を転々とし、小学校6年生の頃から中学校生までは香港と日本を行き来する学校生活を送っていた。
・曾祖父が創設した手塚山学院小学校、中学は聖心インターナショナルスクールを経て、全米でも最難関大学のひとつであるブラウン大学(専攻:国際関係学、副専攻:国際経済学)を卒業。
・大学卒業後、日本国内の外資系メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル・サンホーム、現在のプロクター・アンド・ギャンブル (P&G) ジャパンに就職し1年ほどで退職。
・紹介で1981年、「NHKニュース」の英語の同時通訳を務めたのを機に、報道の世界へ足を踏み入れた。
・26歳の頃までは派遣会社や日本外国特派員協会在籍しながら海外映像のチェックを行ったりリサーチなどに従事。
・1986年にNHK衛星放送のニューヨーク契約駐在キャスターを務め、帰国後に、総合テレビの「NHKニュースTODAY」「NHKニュース21」、衛星放送の「ワールドニュース」に契約出演。
・1993年から2016年1月まで総合テレビ「クローズアップ現代」のレギュラーキャスターを務めた。
・2016年4月に東京藝術大学理事の学長特命担当兼ダイバーシティ推進室長に就任。
・2016年6月に「徹子の部屋」で民放初デビュー。
・2017年には「キャスターという仕事」という書籍を発売し、同年6月には日本郵船の取締役に就任。
・2017年10月には国連食糧農業機関(FAO)日本担当親善大使に就任。
・橋田壽賀子賞や第22回放送文化基金賞、放送ウーマン賞 ’97、第50回菊池寛賞、日本記者クラブ賞、第53回ギャラクシー賞特別賞、放送人グランプリ2016 グランプリ、社会起業大学『ソーシャルビジネスグランプリ2017 政治起業家部門グランプリ』を受賞。
・夫は弁護士で、国谷史郎さん
・国谷史郎さんはクローズアップ現代にもゲスト・コメンテーターとして出演したこともある。
・年収は数千万円(一説では4000万円とも)は貰っているのでは、という噂。
NHK・クローズアップ現代の 23年間、御苦労様でした。
時間の許す限り拝見していました。毎日、社会の一面を切り取り、「おやっ」と思う話題に、思わず引き込まれていました。
私はリタイアして 21年、毎日、午後7時半が楽しみでした。
NHKの内部事情(馨しからぬ情報)で番組の中止は残念です。
休養・充電の後、民放局での再登場を切に望みます。
その時を楽しみにしています。
日本が誇れる落ち着いた、視聴者に理解される解説を届けてくださったキャスターです。他の女子アナにない高貴な何かを持ち合わせていますので、番組とともに終わられるのは残念で仕方ありません。永久に続く番組はないのでしょうが、他の形での国谷報道を切に望みます。長い間お疲れ様でした。
多くの視聴者が国谷さんの番組に期待されていた事を革めて感じました。
番組は、数人のアナウンサー(キャスター)が担当する様な形態で時間帯も遅くなるようですが、個性の無いものになりましょう。
番組に魅力は薄くなるのは必定かとも?
どこかの民放局が……と淡い期待も。
九州の人間ですが、この度の東京都知事選に野党共闘無所属で、出馬してくれないかなぁと、舛添さんが辞めた時点で一番先に浮かんできました。近頃、擁立要請の話がようやく目にするようになりました。
都民ではないけれど、小池さんも国民会議のメンバーだと聞けば軍国容認派ですよ。こんな人に首都を任されますか‼︎
国谷さんに期待してるんだけど、出てくれないかなぁ💕
この欄での、「のでので病」
「・・ので、」は、非常に聞きづらい
接続詞を使いこなし、ちゃんとした文章にしましょう
「・・言われているので、」→「言われています。それから推測すると・・」
「・・キャリアも長いので、」→「キャリアも長いため、それに見合った・・」
どうでしょうか?
「ので」を使用すると、文章が単純軽薄になります。
国谷はこの「のでので病」に罹患していました
NHKを辞職して、養生してください